COLUMN
マルチメディアからデジタルトランスフォーメーションへ
距離を超えてつながる世界をつくりたい
これは自分が小学生のときに抱いた夢です。
1.距離を超えてつながること
こう思ったのにはきっかけがあります。
私は小学3年生のときに、当時の西ドイツ(まだベルリンの壁があった頃)のデュッセルドルフに引越しをしました。
父親の仕事の関係でした。
デュッセルドルフにはメーカーを中心に多くの日本企業が集まっており、同じように家族で転勤をしてくる家庭も多く、日本人学校もありました。
同じ学年は1クラス30名ほど、3クラスあり、今の日本の小学生よりも多いほどでした。
その日本人学校には頻繁に転校生がやってきます。
私が転校した際も同じタイミングで同学年に10名ほど、全学年ではもっと多くの転校生がいたように記憶しています。
逆に転校していってしまう子もたくさんいました。
出会って間もない、短い時間の中で離れてしまうことも数多くありました。
それはそこにいる子供たちがみな「親の仕事の関係」で動くためです。
次の辞令が出るまでの期間だけそこにいることになるため、みな子供たちはそこに来てから「およそ3年〜5年」程度、短い子は1年ほどで日本に帰るようなこともありました。
来るタイミングによって、その「3年〜5年」の期間が、長さの異なる帯と帯が互い違いに重なり合うように、重なった時間だけ一緒にいられるということになります。
当時はインターネットもなく、もちろんメールもSNSもメッセンジャーアプリもなかったため
一度離れてしまうと、子供同士で連絡を取り合う手段は国を越えて出す手紙のみになり、実質的にはほぼ永遠に会えなくなってしまうのではないかと思うような環境しかありませんでした。
そのためいつも、いつ来るか分からない辞令に怯え、
人との出会いは出会った瞬間から砂時計が落ちていくように別れるまでの残り時間がカウントダウンされていくようなもの
と子供ながらに切なく無力感を感じていたのを覚えています。
この体験が深く刻まれ、私は
距離を超えてつながる世界をつくりたい
と考えるようになったのです。
2.マルチメディア社会の主役
それは自身の就職にも影響していきます。
私は学生の頃、「マルチメディア」と言われる
様々なデバイスがインターネットでつながり、表現力豊かに人と人がコミュニケーションを取り合う世界
を実現したいと思い、それに携わる仕事を探していきました。
自分なりにその「マルチメディア」社会を実現する主役になるのは人が常に身近に持ち歩く携帯電話(モバイル端末)と考えていたため、その事業に携わる仕事を目指していったのです。
モバイル端末に関連するテクノロジーは年々進化していき、その都度価値の在り処も次々と変わっていきました。
それに伴い人の生活や嗜好、行動すらも移り変わっていく様を見てきました。
その後もモバイルのデジタルコンテンツサービス、Eコマース、リアル店舗とオンラインを融合するマーケティング、リテールビジネスのDXなど、
振り返ると、不思議と小学生のときに描いた思いの延長線上にいるように思います。
3.デジタルトランスフォーメーションの時代
今、新型コロナの影響もあり、益々デジタルトランスフォーメーションの重要性や必然性が言われるようになってきています。
ただマルチメディア、ユビキタス、IoT、DX、OMO(Online Merges with Offline)など、その時代時代で呼び方は確かに変わっているのですが、その本質はあまり変わっていないように感じます。
モノゴトはより滑らかに流れる方に向かう
AmazonやGoogleなどもこういうことを実現していっているように思います。
コトラー教授の著書「リテール4.0」においても重要なキーワードとして、シームレス、フリクションレス・エクスペリエンスなどこれにつながる言葉が使われています。
スマートフォンがあらゆる面で人のパーソナルメディアとなり、常にすべての人がつながっている状況になったことを上げ
常時手にしているこのモバイル機器によって、デジタルとフィジカルが融合し、二つの世界が補完し合うハイブリッドの現実を体験できる環境が整ったことを謳っているのです。
子供の頃に思い描いた
距離を超えてつながる世界
は今はもう現実のものとなっています。
人もより自然に自由に流れるもの、流れるように体験できるものを選んでいくのではないかと思います。